2024.09.02 2024.09.01 奈良新大宮店
今回は
日本の脱毛事情 江戸時代編
たまたま見つけたお話がちょっと面白かったので紹介します
日本では江戸時代にも脱毛の記録があったらしく、主に女性ですが『脱毛』なんて言葉ではなく『毛抜き』そして毛抜きをする表現として
毛抜き地獄
と表現されていたようです。
目的はやはり美容や礼儀だったようで女性の美に対する意識の深さを感じます。
もちろん当時は現代のような脱毛技術がなかったため、女性たちは美しい肌を保つために、根気よく一本一本毛を抜くという方法をとっていました。
特に眉毛の形を整えたり、産毛を処理したりすることが重視され、女性たちは日常的に
毛抜き
を使用していました。
毛抜きの道具は鉄や竹で作られたシンプルなもので、今の毛抜きと比べると使い勝手が悪く、力加減も難しかったようです。特に眉毛を整えるための毛抜きは、「眉毛箆(まゆげへら)」と呼ばれる専用のものもあり、手作りの道具が一般的だったようです。
実際の施術方法
一本一本抜くため非常に痛みを伴い、時間もかかるため「地獄」のようだと感じる女性が多かったと言われています。特に当時は痛みを和らげるような方法やケアの知識も限られていたため、我慢して行うしかありませんでした。ジェルや冷却システムがあれば飛ぶように売れたはず、、
当時の理想の眉は「細く、薄く、美しく」
江戸時代の理想的な眉は細く整えられた形で、現代でいう「江戸時代風の細眉」が流行していました。多くの女性が、この理想の眉を目指して毛抜きで形を整えていました。後に『昭和のヤンキー』の間でも流行ることになります。
高貴な女性も毛抜き地獄
武家や町人の女性だけでなく、遊女や上流階級の女性たちもこの「毛抜き地獄」を体験していました。特に遊女は美しさを維持するため、眉毛や顔の産毛を毎日抜く必要があり、その苦労は並大抵ではなかったとされています。
毛抜き地獄の象徴とその影響
「毛抜き地獄」は、女性たちが美しさを保つためにどれだけの努力をしていたかを象徴するエピソードの一つです。このような過酷な美容法が続けられていた背景には、美しさが女性のステータスや社会的な価値と直結していたことが挙げられます。
現代ではレーザー脱毛や光脱毛など、痛みが少なく効果的な方法が普及していますが、江戸時代の女性たちの「毛抜き地獄」を思うと、時代と技術の進化を感じさせられますね。
時代を感じるにはうってつけの奈良新大宮店です。東大寺も平城宮跡もすぐそこ!歴史を感じながら脱毛しましょう。